
上記は、おくのほそ道 曽良本 25a.02の一節です。向かって右側が原文で左側は原文を活字にしたものです。これをどう読むかで、二つの読み方が存在します。

a.(哥の哀も爰に思出て猶増りて覚ゆ)
西村 (哥の哀も爰に思ひ出て猶まさりて覚ゆ) 35a.08-35b.01
柿衛 (哥のあはれも爰に思ひ出て猶まさりて覚ゆ) 57.06-07
b.(哥爰に思出て猶哀も増りて覚ゆ)
早大 (哥爰に思ひ出て猶哀も増りて覚ゆ) 24b.15-25a.01
昔安 (哥爰に思ひ出て猶哀も増て覚ゆ) 18a.12
河西 (哥爰に思出て猶哀も、増りて覚ゆ) 25a.02
通解 (うたここに思ひ出て猶哀もまさりて覚ゆ) 3.19a.01-02
両者の違いは「哥の」の「の」を見せ消ちと見るかどうかの違いと言えると思います。そこでまず、「哥の」の部分をピックアプして流れを考えてみたいと思います。

2、「の」の左側に二つの点を打って「の」の部分を修正することが示されます。
3、「の」の右上に「も」を書き「 哥も」と修正されました。
4、「も」の上から「哥」の下まで線が引かれ「も」の挿入場所が「哥」の下であることが示されました。*注1
5、「の」の左側の二つの点の間にもう一点打って「の」を消すことが示されます。
6、「も」が消されます。
点の打ち方は、色々な組み合わせが考えられます。しかし三つの点を同時に打つ可能性は低く、2と5のタイミングで点が二回打たれた可能性が高いように思われます。
曽良本は上記の6の状態ですが、これは少し曖昧な表記です。「も」を更に消したことにより、「の」が復活したようにも見えるからです。このような曖昧さを避けるには、7aのように「見せ消ち」を更に消して「の」を残すことをはっきりさせるか、7bのように「の」そのものを消してしまえば明確な表記になると思います。
しかし、そもそもなぜ「の」を見せ消ちにしたのか不可解です。曽良本の見せ消ちの多くは文字を修正する場合に用いられ、その文字を削除する場合にはあまり使われていません。*注2
そのため一連の見せ消ちは「の」を修正して「も」にしているように見えるのですが、実際は、「の」を削除して「も爰に思ひ出て猶」を挿入しています。似た例を次に見てみます。

曽良 (是に稲つみたるをやいなふねと) 23a.05
この例では、「を」を消しています。そして「を」の下から「や」までを線で繋いで挿入箇所を示し、「に稲つみたるをや」を挿入していることを示しています。大変明快な訂正だと思います。
それでは、「哥の・・・」場合は「の」を消さずに、どうして見せ消ちにしたのでしょうか? 特に意味はなく、たまたまそうなったのかもしれませんが、次のようなことも考えられるかもしれません。

西村本と柿衛本は2の段階の添削から、
「哥の哀も爰に思出て猶増りて覚ゆ」と読みます。
その後3で、「の」を「も」に修正し、「哥も爰に思出て猶哀れも増りて覚ゆ」となります。次の4については、その意図を量りかねますが、一つの考えとして、「も」を削除するに当たり「の」も削除することを示すために、もう一つ点を加えたと見ることができるかもしれません。こうして、早大本以下では、「哥爰に思出て猶哀も増りて覚ゆ」と読むことになります。
このように考えると「の」が見せ消ちになっている理由や、西村本や柿衛本は見せ消ちの見落としをしたのか? などの疑問は払拭されます。また、「も」と「爰に思出て猶」との間隔が少し空いているように見えるのですが、その説明にもなるかもしれません。しかしこのような添削が実際に可能か? というとちょっと難しいようにも思われます。
*注1:文字の上に横線を引いて挿入場所を示す例。

曽17a.01 抑事ふりにたれと松嶋ハ扶桑
*注2: 二点の見せ消ちで削除を表記する例。

曽06b.04 佛頂和尚の → 佛頂和尚
曽12a.08 城を過て → 城を過
参考文献:
(西村本) 影印 おくのほそ道 櫻井武次郎編 双文社出版/ (井筒) 元禄版 おくのほそ道 雲英末雄編 勉誠社
(柿衛本) 素龍筆 柿衛本 おくのほそ道 岡田利兵衛編 新典社
(河西本) 河西本 おくのほそ道 村松友次 笠間書院
(曽良本) 天理図書館善本叢書〈和書之部 第10巻〉芭蕉紀行文集
(早大本) 奥の細道 [寶永弐 乙酉 八月七日 (1705年9月24日) 書写] (雲英末雄旧蔵) 早稲田大学図書館
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko31/bunko31_a0171/index.html
(昔安本) 校本おくのほそ道 西村真砂子 編著 福武書店 p245-282影印
(通解) 奥細道通解 馬場錦江 (西尾市 岩瀬文庫 15‐イ76)
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100067332/viewer/1
2019.05.08
2019.05.26
2020.04.14