仙台藩の儒者であった桜田虎門は、本草学にも造詣が深かったようです。松島図誌には、松島に自生する、石斛(セッコク)という植物が紹介されています。
松島図誌 鼓缶子(桜田虎門) 述 東澤 圖 伊勢屋半右衛門 文政四年(1821)
国文研 35 36
▲産物 ○福浦嶋の竹(くハしく前に見へたり)○岩長生(即巻柏なり) [岩長生(いハひば)]
○石斛○雨漏草(即尾韋なり)○城垣草(即海州骨碎補なり) [城垣(しのぶ)]
○寒ざらし鹿角菜○水飴○茶筅○紅蓮せんべい・・・
しかし、この絵は次の本を元に描かれたようです。
鹽松紀行
著者:僲臺 南山 釋古梁(古梁紹岷) 文化六年二月(1809)
附録:先遊遺観 仙臺 東斎 菅智義(菅井梅関) 図
国文研 17
石斛
諸島多生之以棕皮包根以
代掛蘭雅澹可愛也
両者は多少は違っていますが、絵の質感などは同じです。出版年からみて、松島図誌の東澤は、鹽松紀行の菅智義の絵を参考に描いたものと思われます。
更に、松島勝譜では、 鹽松紀行の絵をトレースしています。
松島勝譜 校訂:大槻復軒 編纂:作並鳳泉 筆者:原田鼎洲
画:瀧和亭 荒木寛畒 川端玉章 出版:明治21年7月28日
宮城県図書館 33
石斛(せきこく)
松嶋名産の一なり
南山師曰諸嶋多生
レ之以2棕皮1包レ根以代2
掛蘭1雅澹可レ愛也こ
の外に岩に岩長生雨漏 [岩長生(いはひバ)]
草城垣草等を産す [雨漏草(あめもりさう)] [城垣草(しのぶぐさ)]
落款:寛畒
絵に添えられている文章には、「南山師曰く」とあり、鹽松紀行の作者について言及されているのですが、書名には言及されておらず、絵には「寛畝」の落款があります。先に見た松島真景のトレースと同じように、荒木寛畒は名前を貸しただけなのかもしれません。
また、文章の構成からすると、松島勝譜は、塩松勝譜と松島図誌も参考にしているものと思われます。
塩松勝譜 巻之三
舟山万年(光)編・佐沢広胖校訂
文政5年成立(1822)
仙臺叢書別冊四巻 巻之十四 p276
石斛
松島島嶼所在之アリ南山禅師 鹽松紀行ノ附録之
レヲ載ス曰ク。諸島多ク之ヲ生ス。皮根ヲ包ミ以テ
掛蘭ニ代フ 雅澹愛ス可キナリ 延喜式。貢薬。陸奥
六種 其中石斛八十斤
もう一つ、松島勝譜が鹽松紀行の絵をトレースしている箇所を見てみたいと思います。
鹽松紀行
著者:僲臺 南山 釋古梁(古梁紹岷) 文化六年二月(1809)
附録:先遊遺観 仙臺 東斎 菅智義(菅井梅関) 図
掛田島・烏崎 国文研 15
松島勝譜 校訂:大槻復軒 編纂:作並鳳泉 筆者:原田鼎洲
画:瀧和亭 荒木寛畒 川端玉章 出版:明治21年7月28日
掛田嶋(かけたじま) 宮城県図書館 47 48
鹽松紀行では「烏崎」と書かれた部分に、瀧和亭(蘭田)の落款があります。
和亭 蘭印
和亭も高名な画家なので、トレースをしたとは思えないので、名前を貸したのではないかと思います。