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2020年2月24日月曜日

与謝蕪村 奥の細道画巻の底本について Part.2

 与謝蕪村 奥の細道画巻の底本について Part.1 からの続きです。

(版).元禄版おくのほそ道: 奥の細道 : 素竜本 野村宗朔 編 大倉広文堂 (明和版系)をベースに、国文研鵜飼 02元禄K などを参照
(了).了川による模写 柿衛文庫蔵  画巻
安永丁酉秋八月 (安永六年八月) (1777年9月2日~9月30日) 蕪村の奥付の日付 
天保癸巳夏五月 (天保四年五月) (1833年6月~7月) 了川による模写の日付
注:参考文献に全文の影印がないため抜けている部分は空白
(海).海の見える杜美術館蔵 (旧 王舍城美術寶物館) 画巻 全一巻  
安永七年六月 (1778年6月25日~7月23日)
(京).京都国立博物館蔵 (旧 平山亮太郎 蔵) (旧 北村太三郎 蔵) 画巻 全二巻 
安永七年十一月 (1778年12月19日~1779年1月17日)
(山).山形美術館蔵 屏風 一帖 六曲 
安永八年秋 (1779年)
(逸).逸翁美術館蔵 画巻  全二巻
安永八年十月 (1779年11月8日~12月7日)

・色による分類
黄色:漢字→かな 
灰色:かな→漢字 
橙色:送り仮名 
水色:異字体 
緑色:別字 
赤色:誤字・脱字・衍字


・誤読と他の本を参考にしたと思われる訂正について

03a.03
(版).呉天に白髪の恨・・を重・ぬといへ共・
(海).呉天に白髮のうらミを重ねぬといへとも 
(京).呉天に白髪の恨・・をかさぬといへとも [同行末]
(山).呉天に白髪の恨・・を重・ぬといへとも [同行末]
(逸).呉天に白髪の恨・・を重ねぬといへとも



奥付の日付からすると、一連の作品は、(了)→(海)→(京)→(山)→(逸)の順で制作されているのだが、上記の文字の誤読と訂正の観点からみてみると、蕪村は明和版の「重ぬ」を「かさねぬ」と読み、(海)(逸)で「重ねぬ」と表記したと思われる。その後他の本を参考にしてか?注1 (京)では「かさぬ」とし、(海)(逸)で「ね」を消して「重ねぬ」と訂正したと考えられる。(山)の「重ぬ」は、「かさねぬ」の訂正前に書かれたか訂正後に書かれたかは判断できない。

(山)の「重ぬ」は、明和版の「重ぬ」を「かさねぬ」と読んだが、そのまま「重ぬ」と表記している可能性と、「かさねぬ」を「かさぬ」に訂正した後に制作され「重ぬ」と表記した可能性の二つが考えられる。

注1:(柿)は、「素龍筆 柿衛本 おくのほそ道」 岡田利兵衛 編 新典社 
「かさぬ」と仮名で書かれている。蕪村が柿衛本を直接参照したとは思えないが、「かさぬ」と仮名でかかれた本を参照した可能性が考えられる。
以上のことから、この部分に関しては、(京)よりも先に(海)(逸)が書かれたとみることができる。

12b.04
(版).脇㐧三とつゝけて三巻となしぬ
(了).脇㐧三とつ・けて三巻となしぬ [同文末]
(海).脇㐧三とつゝけて三巻となしぬ [同文末]
(京).脇㐧三とつ・けて三巻となしぬ [同文末]
(山).脇㐧三とツゝケて三巻となしぬ [ツゝケて][付て][付]消し右に[ツゝケ]添える
(逸).脇㐧三とつゝけて三巻となしぬ



奥付の順番を考慮せず、文字の誤読と訂正の観点からみてみると、蕪村は、明和版の「つゝけて」を「つけて」と読み、(了)(京)で「つけて」、(山)で「付て」と表記し、その後他の本を参考にしてか? (海)(逸)では「つゝけて」とし、(山)では「付」を消して「ツゝケて」に訂正したと考えられる。
以上のことから、この部分に関しては、(海)(逸)よりも先に(了)(京)(山)が書かれたとみることができる。

この2つの事例からすると、蕪村は一連の「奥の細道」の制作を同時並行的に行った可能性がある。

2020.1.29


・単純な誤字脱字について 
下記は誤字脱字を同じ箇所でしているものをピックアップしたものである。

04a.06
(版).卅日日光山の梺に泊るあるしの
(海).卅日日光山の梺に泊るあるし・
(京).卅日日光山の梺に泊るあるし・
(山).卅日日光山の梺に泊るあるしの
(逸).卅日日光山の梺に泊るあるしの
07a.07
(版).のとゝまる所・・にて馬を返し給へと
(了).のとゝまるところにて・・返し給へと
(海).のとゝまるところにて馬を返し給へと
(京).のとゝまる所・・にて・・返し給へと
(山).のとゝまるところにて馬を返し給へと
(逸).のとゝまるところにて馬を返し給へと
07b.03
(版).やさしかりけれは
(了).やさし・・けれは
(海).やさしかりけれは
(京).やさし・・けれは
(山).やさし・・けれハ
(逸).やさし・・けれは
10b.06
(版).此柳みせはやなと折/\にの給ひ
(海).此柳みせはやなと折/\・の給ひ
(京).此柳見せはやなと折/\にの給ひ
(山).此柳見せはやなと折/\にの給ひ
(逸).此柳見せはやなと折/\・の給ひ
13b.01
(版).花かつミとは云そと人々に尋侍れ
(海).花かつミとは云そと人々に尋侍れ
(京).花かつみとハ云そと人・に尋侍れ
(山).花かつみとハ云そと人・に尋侍れ
(逸).花かつみとは云そと人々に尋・れ
22b.06
(版).一の好風にして凡洞庭西湖を恥す
(了).一の好風にして凡洞庭西湖に恥す
(海).一の好風にして凡洞庭西湖を恥す
(京).一の好風にして凡洞庭西湖を恥す [同行末]
(山).一の好風にして凡洞庭西湖を恥す
(逸).一の好風にして凡洞庭西湖に恥す
25a.01
(版).入唐帰朝の後・開山す其・後・に
(了).入唐帰朝の後・開山す其・のちに
(海).入唐帰朝のゝち開山すそのゝちに
(京).入唐帰朝の後・開山す其・後・に
(山).入唐帰朝の後・開山す其・後・・
(逸).入唐帰朝のゝち開山すそのゝち・
25b.05
(版).ひ・人家地をあらそひて竃・・の
(海).ひて人家地をあらそひ・竃・・の [同行末]
(京).ひ・人家地をあらそひて竃・・の [同行末]
(山).ひて人家地をあらそひ・竃・・の
(逸).ひ・人家地をあらそひてかまとの
29b.08
(版).わかれぬ跡・に聞てさへ胸・とゝろく
(了).わかれぬ跡・に聞てさへ胸・とゝろく
(海).わかれぬ跡・に聞てさへ胸・とゝろく
(京).わかれぬあとに聞てさへ胸・とゝろく
(山).わかれぬあとに聞・さへ胸・とゝろく
(逸).わかれぬあとに聞・さへむねとゝろく
52a.03
(版).筆をとらせて寺に残・す
(海).筆・とらせて寺にのこす
(京).筆をとらせて寺にのこす [同行末]
(山).筆・とらせて寺にのこす [文字空け]
(逸).筆をとらせて寺にのこす [同行末]

上記の誤字脱字は、不注意による読み飛ばしや写し間違いと考えられ、それを同じ箇所でしているということになる。このようなことが偶然に起こるとは考えられない。
この観点からすると、一連の作品には2系統の手本があったと考えられないだろうか? 蕪村は「奥の細道」を制作するに当たり、まず「明和版」を基に下書きを2本書きそれらを手本にしのである。つまりその手本に誤字脱字があったのである。このように仮定するならば、同じ箇所での誤字脱字が生じたことの説明となる。
(下書きについては、色々なパターンが考えられる)

2020.2.2


・単純な誤字の訂正について

28b.06-28b.07
(版).大山を隔・・て道さたかならされハ道しるへの人を
(了).大山を隔・・て道さたかならすれは道しるへの人を
(海).大山を隔・・て道さたかならされハ道しるへの人を [ならす][す]の右に[さ]
(京).大山を隔・・て道さたかならされハ道しるへの人を
(山).大山を隔・・て道さたかならされは道しるへの人を [ならす][す]消し右に[さ]
(逸).大山をへたてゝ道さたかならされは道しるへの人を



この例では、下書きの段階で「ならされは」を「ならすれは」と単純に誤記し、それを清書してから、或いは清書の最中に誤りに気付き訂正したのではないかと思われる。
この観点からすると、この部分では、(了)(海)(山)で同じ手本が用いられ、(京)(逸)では別の手本が用いられたということになる。
 ただ、柿衛本(柿)と昔安本(昔)では次のように表記されている。

大山を隔て道さたかならす道しるへの人を

(柿)(昔)では、「ならされは」ではなく「ならす」と表記されているのである。(了)(海)(山)の「ならすれは」もこれとなんらかの関係があるのかもしれない。そうであるならば様相もまた変わってくる。

2020.2.7


・送り仮名の補いによる訂正について

40a.01
(版).物・語・・するをきけハ越後の国・新
(了).物・かたりするをきけは越後の国・新
(海).ものかたりするをきけハ越後の国・新
(京).物・かたりするを聞ケハ越後の國・新 [聞ケハ][聞ハ][ケ]挿入
(山).物・かたりするをきけハ越後のくに新
(逸).物・かたりするを聞・は越後の国・新 



この例では、下書きには「きけは」と「聞は」の二つの系統があったと考えられ、(了)(海)(山)は「きけは」とし、(京)(逸)は「聞は」としたと考えられる。そして(京)では「ケ」を補って「聞ケハ」と訂正をしたように見える。
 一方で、蕪村はその時の感性で「きけは」を「聞は」に変更した可能性も考えられる。しかし(京)の「ケ」の挿入による訂正からすると、「聞は」となっている下書きを基に清書し、その後「聞ケば」に訂正した可能性が高いように思われる。
 また、蕪村は明和版の「きけは」の仮名表記を「聞は」と漢字表記にしているところから、他の本を参考にした可能性も考えられる。例えば、昔安本では次のような表記となっている。

(昔).物語するを聞ハ越後の国新
 
2020.2.13

38a.07
(版).さに悲しみをくはえて地勢魂
(了).さに悲しみをくはえて地勢魂
(海).さに悲しみをくはえて地勢魂
(京).さに悲しミを加・・て地勢魂
(山).さに悲しみを加・へて地勢魂
(逸).さに悲しみをくはえて地勢魂



この例では、下書きには「くはえて」と「加へて」の二つの系統があったと考えられ、(了)(海)(逸)では「くはえて」とし、(京)では「加て」(山)では「加へて」としたと考えられる。
 一方で、蕪村はその時の感性で「くはえて」を「加へて」に変更した可能性も考えられるが、 「くはえて」「加へて」の「へ」表記の違いが生じていることから、他の本を参考にした別系統の下書きがあった可能性が高いように思われる。

自筆本(自).かなしひをくはへて
曽良本(曽).かなしひをくはへて
昔安本(昔).かなしひをくはへて

   (版).悲しみをくはえて
   (山).悲しみを加・へて
下郷本(下).悲しみを加・へて
   
この部分に関しては、(下)と(山)は同じ表記になっている。

2020.2.16


・版本に起因する誤字

09b.04
(版).橋をわたつて山門に入  [わたつ][つ]が[り]に見える 参照 



画像引用元 元禄K  明和I 寛政K

西村本と寛政Kでは、「わたつて」と読めるが、元禄Kと明和Iでは「わたりて」とも読める。特に明和Iでは、文字のかすれから「り」と誤読しやすくなっている。
寛政版では、誤読を防ぐためか? 「つ」の文字に工夫の跡が見られる。しかし、寛政版を底本としているはずの半化坊でも「わたりて」と表記されている。
・半化坊 TY W

明和版を底本にしている蕪村の「奥の細道」も「わたりて」と表記されている。

(海).橋をわたりて山門に入 [同行末]
(京).橋をわたりて山門に入 [同行末]
(山).橋をわたりて山門に入 [同行末]
(逸).橋をわたりて山門に入 [同行末]

11a.01
(版).立より侍つれ [侍つれ][つ]判読難 [侍・れ]多数



西村本では「侍つれ」と確実に読める。元禄・明和も「侍つれ」と読めるが「侍へれ」とも読めなくはない。寛政版では「侍つれ」と読むのは難しい。

元禄版系
・侍れ  07元禄写W4 蕉門七書W
・侍へれ 07元禄写S(扶桑残玉集) 07元禄写W2

蕪村の「奥の細道」も全て「侍れ」と表記されている。

(海).立より侍・れ
(京).立より侍・れ
(山).立より侍・れ
(逸).立より侍・れ

18b.02
(版).玉田よこ野つゝしか岡ハあせひ [あせひ][せ]判読難[を]に見える



(自)から(昔)までは、「あせひ」と読めるが、西村本では「せ」が「を」に近い字体が用いられ、それを手本にした元禄版では更に「を」に近い字体になっている。しかし寛政版では元禄版よりも「せ」と読める字体になっている。

引用文献
(自)芭蕉自筆奥の細道  校注:上野洋三  櫻井武次郎  岩波書店
(曽)天理図書館善本叢書〈和書之部 第10巻〉芭蕉紀行文集
(柿)素龍筆 柿衛本 おくのほそ道 岡田利兵衛編 新典社
(早)早大本おくのほそ道 早稲田大学図書館 リンク
(昔)昔安本 校本おくのほそ道 西村真砂子 編著 福武書店 p245-282
(西)西村本 影印 おくのほそ道 櫻井武次郎編 双文社出版
(元)元禄版 おくのほそ道 国文鵜飼 リンク
(寛)寛政版 おくのほそ道 愛知県立大学図書館 リンク 

蕪村の奥の細道では次にようになっている。


(了).玉田よこ野つゝしか岡ハあふひ 
(海).玉田よこ野つゝしか岡ハあふひ
(京).玉田よこ野つゝしか岡ハあせひ
(山).玉田よこ野つゝしか岡ハあせひ
(逸).玉田よこ野つゝしか岡ハあせひ

「あせひ」は「アセビ」のことであるが、「あふひ」は「アオイ(葵)」の歴史的仮名遣いである。
 蕪村は明和版の「あせひ」を「あをひ(葵)」と読み、正しい歴史的仮名遣いとして「あふひ(葵)」と表記したのではないかと思われる。
 しかし、(了)(海)では「あふひ」であるが、(京)(山)(逸)では「あせひ」と表記されている。その場の思いつきで「アセビ」を「葵」、或いは「葵」を「アセビ」に変更することは不可能なので、蕪村は熟考の末「あふひ」と「あせひ」の2つの表記を併存させた可能性が考えられる。またその際、蕪村は他の本を参照した可能性も考えられる。参照した本が「あふひ」となっていたか、「あせひ」となっていたかは判断できない。このことについては、別の機会に詳しくみてみたいと思う。

22b.01
(版).誠人能道を勤義を守へし [人能][能]が[盤(は)]に似ている



(了).まことに人能道をつとめ義を守るへし
(海).誠・・に人ハ道を勤・・義を守・へし 
(京).まことに人ハ道を勤・・義を守るへし
(山).誠・・・人ハ道を勤・・義を守・へし
(逸).誠・・・人能道を勤・め義を守るへし
(七).誠・・に人は道を勤・・義を守るべし
 
画像引用 (七).蕉門七書(芭蕉翁七書) 国文研

蕪村は明和版の「能」を「盤」と読み違え変体仮名の「盤(は)」と考え、(海)(京)(山)では「ハ」と表記したものと思われる。しかし(了)(逸)では「能」と表記されている。その場の思いつきで「能」を「ハ」に、或いは「ハ」を「能」に変更できるとは思えないので、蕪村は熟考の末「能」と「ハ」の2つの表記を併存させた可能性が考えられる。またその際、蕪村は他の本を参照した可能性も考えられる。

24a.06
(版).風雲の中に旅寐するこそ [とは(者)]に見える



(自)「するこ楚(そ)」 (曽)「するこそ」  (柿)「するこ所(そ)」 (西)「するこそ」

西村本は「するこそ」と読める。「そ」は「者(は)」とも読めるが、「するこは」では文が通じないので、必然的に「するこそ」と読める。元禄版では「こ」と読むのは難しく「と」と読める。そのため、「するとそ」或いは「するとは」と読めてしまう。寛政版では更に「と」に近くなっている。

するとそ


元写W1 元写M 元写IK 寛写FI  半化坊W

するとは


元写S(扶桑残玉集) 元写W2 元写HA 七W(芭蕉翁七書) 七写HR

蕪村では、(了)(京)では「するこ所(そ)」、(山)(逸)では「する古(こ)そ」、そして(海)では「すると者(は)」と表記されている。
蕪村は明和版を基に「するこ所(そ)」と「する古(こ)そ」の2系統の下書きを作り、更に他の本を参照して「すると者(は)」とした可能性がある。或いは、「するとは」と誤読したものを、他の本で「するこそ」と訂正した可能性もある。そのため「所(そ)」「古(こ)」の仮名を用いて「とは」との差別化を図ったのかもしれない。



(了).風雲の中に旅寝するこそ
(海).風雲の中に旅寝するとは
(京).風雲の中に旅寝するこそ
(山).風雲の中に旅寝するこそ
(逸).風雲の中に旅寝するこそ

25a.04
(版).仏土成就の大伽監とハなれりける [ける][けり」に見える



元禄K 明和W 寛政I

(柿)は「なれりける」であるが、(西)(元K)は「なれりけり」とも読める。村治本は西村本系統の写本と考えられるが、「なれりけり」と表記されている。
(明W)は版木の損傷が多くあるため、あたかも「り」が欠損しているかのようにも見える。
(寛I)は、「る」と読むのは難しく、「り」或いは「ら」と読める。



洗心抄W 元写W1 元写M 半化坊W

(元写W1)(半化坊W)は「なれりける」とも読めるが、「なれりけり」と読むのが自然である。(百家)は「南連季(なれり)」とされている。

蕪村は、(了)では「なれりけ理(り)」、(海)では「なれりけ李(り)」と表記されている。「り」「る」の混同を防ぐために「理」「李」の仮名を用いた可能性が考えられる。(京)(山)(逸)では「なれりける」と表記されている。
蕪村で「なれりけり」と「なれりける」の二通りの表記があるのは、他の本を参考にした可能性が考えられる。



(了).佛土成就の大伽監とハなれりけり [けり(理)]判読難
(海).佛土成就の大伽監とハなれりけり [けり(李)]
(京).佛土成就の大伽監とハなれりける
(山).佛土成就の大伽監とハなれりける
(逸).佛土成就の大伽監とハなれりける

30b.05
(版).慈覚大師の開基にて殊清


・早大 元禄K 明和I 寛政I 永機W 通解NO

(自)(曽)(柿)(西)(村治)(永機)(通解)は「開基尓(に)して」と表記され、(早大)(昔安)は「 開基丹(に)して」と表記されている。
(元)は(西)の「尓(に)し」を「耳(に)」と誤読したため、(元)(明)(寛)では「開基耳(に)て」と表記されている。

(元)(明)(寛)の版本を底本にしていると思われる写本や版本で、「開基にして」と表記しているのは管見では2種見られた。



・元写HA (七)蕉門七書W 七写HR

(七写)は、(七)蕉門七書の写本であるので同種とし。元写HAと合わせて2種とする。
この二種は、版本の「耳(に)て」を「尓(に)して」と誤読して「開基尓(に)して」と表記した可能性が考えられる。

蕪村では、(了)(海)(山)は「開基にて」、(京)(逸)では「開基にして」と表記されている。



(了).慈覚大師の開基に・てことに清
(海).慈覚大師の開基に・て殊・・清
(京).慈覚大師の開基にして殊・・清
(山).慈覚大師の開基に・て殊・・清
(逸).慈覚大師の開基にしてことに清

明和版の「耳(に)」は特に難読という程ではないので、蕪村が明和版を基に2種の下書きを作成した時に一方を不注意で「尓(に)して」と誤写した可能性が考えられる。
或いは、他の本を参照して「開基にして」とした可能性が考えられる。

35b.05
(版).三山順礼の句々短冊に書 [明和版][句々][々]欠損



元禄版では「句々」であるが、明和版では「々」の部分が欠損して判読できない。
管見では元禄版に「々」の欠損のある版は見つからなかったのだが、元禄版の写本の(元写W2) (元写IK)の「句ゝ」「句を」の表記から、元禄版の晩期には「々」の欠損があったのではないかと推測できる。
 そして明和版でも、(明H) (明HO)では欠損箇所を墨書きで補い「を」「々」と修正している。

元禄A・B・C 元禄K 元禄R 元禄SI 元禄G1・G2 元禄TZ(39/59) 元禄KM
元写W2 元写IK
明和G 明和I 明和R  明和H 明和HO(37/62) 明和W 明和N 元禄T

明和版を底本としている蕪村の奥の細道では(元写IK) (明H)と同じように「句を」としている。



(海).三山順礼の句を短冊に書
(京).三山順礼の句を短冊に書
(山).三山巡礼の句を短冊に書
(逸).三山順禮の句を短冊に書

46b.03
(版).から書捨つ越前の境吉崎 [崎`][崎]元禄重版後の[`]が欠落



元禄Kでは、「崎`」であるが元禄G1 元禄C 以降では「`」が欠落している。しかし 寛政I では「`」が復活している。また寛政Iは、青丸部分の「の」のはらいを強調することで「可」であることが明確になっている。明和Hもこれと同じ趣旨で「`」と「の」が墨書きで修正されたのではないかと思われる。

・元禄A・B・C 元禄K 元禄R 元禄SI 元禄G1・G2 元禄TZ(50/59) 元禄KM /・元写IK
・明和G 明和I 明和R  明和H 明和HO(48/62) 明和W 明和N 元禄T /・寛政I

西村本、元禄版後期以前には「`」があるため、青丸の部分が「可」であると推測できるので、「崎」と読めるが、「`」が欠落した元禄後期以降では、「崎」と読むのは難しく「嶋」とも読めてしまう。注*

蕪村の「奥の細道」でも、「`」の欠落した明和版を底本にしているために、(海)(京)(山)では「嶋」と表記されている。しかし(逸)では、「崎」と正しく表記されている。

一度「嶋」と読み込んだものを、「崎」と読み直すことは困難であるうよに思える。(逸)で「崎」と読み直せたのは、他の本を参照したからではないかと思われる。



(海).から書捨つ越前の境・吉嶋
(京).から書捨つ越前の境・吉嶋 [捨ぬ][ぬ]見せ消ち右に[つ]
(山).から書捨つ越前の境・吉嶋
(逸).から書捨つ越前のくに吉崎

管見では蕪村以外で「嶋」と表記している写本は確認できていないが、おそらくそれは、ほとんどの写本は「`」の欠落のない「元禄版」や「寛政版」を底本にしているためではないかと思われる。

注*
「崎」は必ずしも「`」が必要というわけではない。例えば、28a.03「小黒崎」を見ると次のように表記されている。

この「崎」は「`」がなくとも「可」の部分が明確になっているため「崎」と読める。
 
49b.01
(版).かくれて比那か嵩あらハる [嵩]が[嶌]に見える





・(早大) (元写HA)は「嶌」と読める。
・(土芳) (元写W1・M) (七写HR) については、「嵩」と読めるが「嶌」と紛らわしい。
・(永機W) (元写W2)は「嶋」・ (百家交筆) (鼇)は「島」と読める。

元A 明I 寛I  早大 元写HA 元写M 七写HR 永機W 元写W2 鼇W

蕪村は明和版の「嵩」を「嶌」と誤読し、(京)では「嶌」、(海)(山)では「嶋」と表記したものと思われる。しかし(逸)では「嵩」と表記されている。一度「嶌」と読み込んでしまったものを、「嵩」と読み直すのは困難である。(逸)で「嵩」と読み直せたのは、他の本を参照した可能性が考えられる。


(海).かくれて比那か嶋あらハる
(京).かくれて比那か嶌あらハる
(山).かくれて比那か嶋あらハる
(逸).かくれて比那か嵩あらハる

2020.03.04



・他の本を参照したと思われる例

45b.01
(版).残・・ものゝうらみ隻鳬のわかれて
(了).残・・ものゝうらみ隻鳬のわかれて
(海).残・るものゝうらみ隻鳬のわかれて
(京).のこるものゝうらみ隻鳬のわかれて
(山).残・・ものゝうらみ隻鳬のわかれて [わかれて][か]判読難
(逸).のこるものゝうらみ雙鳬のわかれて

 

明和版は「隻鳬」であり、(了)(海)(京)(山)も「隻鳬」であるが、(逸)は「雙鳬」と表記されている。「雙鳬」が誤字であるならば、単なる書き間違いと考えることもできるが、西村本系以外では、「雙鳬」の表記がかなり見られる。



(自筆)「隻鴨」 
(曽良)「隻鳬」
(早大)(通解)(柿衛)は「雙鳬」 (昔安)は「雙鳬(テフ)」と表記されている。
(桃鏡)は「双鳬」 (蕉門七書)(七写)では「雙鳬(ソウウ)」と表記されている。

 また、奥細道菅菰抄では「隻鳬ハ雙鳬の誤なるへし」と前漢書を引いて解説をしている。

・早大本 (通解)奥細道通解(写)NO  元禄K 明和I
・ (桃鏡)芭蕉翁文集写W 蕉門七書W 七書写本HR 奥細道菅菰抄W
  
以上より、蕪村は明和版を基に「隻鳬」と表記していたものを、(逸)では他の本を参照して「雙鳬」と変えたものと思われる。

2020.03.10

2020年1月14日火曜日

与謝蕪村 奥の細道画巻の底本について Part.1

故岡田利兵衛氏と故岡田彰子氏のご研究と文献蒐集のご努力に敬意を表します。

与謝蕪村は奥の細道の画巻類を、10作品程成したようです。そのうち4作品が現存し、1作品の模写が残っています。
今回当ブログでは、 これらの作品の原文を比較し蕪村が参照した底本について考えてみたいと思います。
比較に当たり用いる文献は以下の通りです。

(版).元禄版おくのほそ道: 奥の細道 : 素竜本 野村宗朔 編 大倉広文堂 (明和版系)をベースに、国文研鵜飼 02元禄K などを参照
(了).柿衞文庫蔵・了川模本: 引用資料:蕉村全集 (第6巻) 絵画・遺墨 著者:尾形仂  佐々木丞平  岡田彰子 出版:講談社/ 蕪村筆「奥の細道画巻」について 岡田彰子 サピエンチア 英知大学論叢 第22号 1988年 聖トマス大学 p235 (十八)
(海).海の見える杜美術館蔵: 引用資料:与謝蕪村 翔けめぐる創意 MIHO MUSEUM/  若冲と蕪村 生誕三百年同い年の天才絵師
(京).京都国立博物館蔵: 底本:奥之細道 出版者:村山旬吾 昭和7 印刷所:國華社
(山).山形美術館蔵 屏風 引用資料:与謝蕪村 翔けめぐる創意 MIHO MUSEUM/ 見ながら読む芭蕉の旅 奥の細道 学研
(逸).逸翁美術館蔵 引用資料:奥の細道画巻  解説・翻刻 岡田利兵衛  豊書房
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与謝蕪村の奥の細道の底本は、「明和版おくのほそ道」であるというのが定説となっているようです。それは、岡田利兵衛氏の次の一文によるようです。
これら画巻を蕪村は「明和七年寅年十月」の奥書がある蝶夢本「おくのほそ道」によってかいている。それは初めて上梓する際、清書本を誤読した文中三カ所の誤りをそのまま写していることによってわかる。 
『俳画の美 』岡田利兵衛著 豊書房
この論を更に推し進めて、岡田彰子氏が『元禄版おくのほそ道』(雲英末雄編)による素龍清書本と、井筒屋元禄版の異同表を基に、5ヶ所の異同の対照を試みています。

20a.03
(清).山崩川流て
(版).山崩川落て
(了).山崩川落て
(海).山崩川落て
(京).山崩川落て
(山).山崩川落て
(逸).山崩川落て
23a.02
(清).波に圃匐
(版).波に匍匐
(了).波に匍匐
(海).波に匍匐
(京).波に匍匐
(山).波に匍匐
(逸).波に匍匐
30b.05
(清).開基にして
(版).開基に・て
(了).開基に・て
(海).開基に・て
(京).開基にして
(山).開基に・て
(逸).開基にして
33a.08
(清).出羽といへるは
(版).出羽といへるも
(了).出羽といへるも  [参考文献に影印がないため当方未確認]
(海).出羽といへるも
(京).出羽といへるも
(山).出羽といへるも
(逸).出羽といへるも
46b.01
(清). 庭掃て出はや
(版). 庭掃て出るや
(了). 庭掃て出るや
(海). 庭掃て出るや
(京). 庭掃て出るや
(山). 庭掃て出るや
(逸). 庭掃て出るや

そして次のように結論づけています。
「明和版は、本文から無署名の跋に至るまで、五十四丁分にわたって元禄版の板木をそのまま使用し」たものであるから元禄版を明和七年本とみなす。
 次の図表によって蕪村が明和七年版本(蝶夢本)を用いたということが明らかである。
 蕪村筆「奥の細道画巻」について 岡田彰子 サピエンチア 英知大学論叢 第22号 1988年 聖トマス大学 p248(五)

この点については、さらに検討の余地があるかもしれません。明和版が元禄版と同じ板木を使っているからと言って、蕪村の奥の細道が明和版を底本にしているとは限りません。元禄版を底本にしているかもしれないのです。つまりこの論文から分かることは、蕪村の奥の細道は「元禄版もしくは明和版を底本にしている。」ということであって、蕪村が明和版を用いたということは明らかにはなっていないのです。

では、蕪村の奥の細道が明和版を底本にしていることを証明するにはどうすればよいでしょうか?  それは元禄版と明和版の違いを基に蕪村の奥の細道を対照すればよいのです。
 実は明和版には文字の欠損が多数あり、元禄版との差異が数多く見られます。この差異を利用して寛政版は元禄版の被せ彫りである。というようなことは容易に証明できるのですが、しかし単なる文字の欠損の場合、前後の文脈などからその文字を類推して修正されてしまいます。そこで、単なる文字の欠損ではなく、それが欠損であることにも気づかないような欠損箇所を探さなければならないのですが、明和版には一箇所だけこれに該当する箇所があります。

元禄版08a.08-08b.01
与市扇の的を射し時別してハ 我国氏神正八まんとちかひしも
元禄A・B・C 元禄K 元禄R 元禄SI 元禄G1・G2 元禄TZ 元禄KM

明和版08a.08-08b.01(参照ページ)
与市扇の的を射し時別して・ 我国氏神正八まんとちかひしも
明和G 明和I 明和R  明和H 明和HO 明和W 明和N 元禄T注*

明和版では「ハ」が欠落しています。元禄版ではわずかな摩滅が見られるだけなのに、明和版では完全に欠落しています。もしかすると、明和版では故意に「ハ」を削った可能性も考えられます。この点については後ほどもう少し詳しく見てみる予定です。

そして蕪村の奥の細道もこの部分の「ハ」がすべて欠落しています。

別して我国


(了).与市扇の的・を射し時別して・ 我國氏神正八幡・とちかひしも
(海).与市扇の的・を射し時別して・ 我國氏神正八幡・とちかひしも
(京).与市扇のまとを射し時別して・ 我國氏神正八まんとちかひしも
(山).与市扇の的・を射し時別して・ 我国氏神正八まんとちかひしも
(逸).与市扇の的・を射し時別して・ 我國氏神正八まんとちかひしも

更に補強として、元禄版の重版後に欠損したと思われる文字も見てみたいと思います。

41a.04(出つゝ) 


・元禄A・B・C 元禄K 元禄R 元禄SI 元禄G1・G2 元禄TZ 元禄KM
・明和G 明和I 明和R  明和H 明和HO 明和W 明和N 元禄T注*

元禄C 元禄G1 明和版では、「つゝ」の「ゝ」の部分が欠損しているために「出つ」と読めてしまいます。蕪村の奥の細道でもこの部分は「出つ」となっています。



(了).恙・・なかるへしと云捨・て出つ・
(海).恙・・なかるへしと云すてゝ出つ・
(京).恙・・なかるへしと云捨・て出つ・
(山).恙・・なかるへしと云捨・て出つ・
(逸).つゝかなかるへしと云すてゝ出つ・

「つゝ」の欠損の一致により、蕪村は元禄版の重版後の版を底本にしていたと断定でき、先の「ハ」の欠落を併せるて考えると、蕪村は明和版を底本にしていたとほぼ断定できます。

注*: 元禄Tは明和版以降の版である 参照

比較として、蕪村と同じ時期に、東馬林という人物により書写された「奥のほそ道」を見てみると、先の元禄版の5つの誤りは見られますが、「別しては」「出つゝ」の欠落は見られません。つまり東馬林は、元禄版を基に書写したと言えます。
・07元禄写W4 早稲田大学図書館 奥のほそ道 
安永七戊戌年弥生中七日写畢 東馬林 / 別しては/ 出つゝ

ところで、先の清書本との対照にある「開基にして」についてなのですが、これは清書本の「尓(に)し」を元禄版に写す時に「耳(に)」と読み違えたものです。

30b.05
(版).開基にて (清).開基にして




蕪村の(了).(海).(山).は版本と同じく「開基にて」となっているのですが、(京).(逸).は清書本と同じく「開基にして」と表記されています。これを一体どのように考えればよいのでしょうか? 一度「開基にて」と読んだものを、「開基にして」と読み替えることは可能でしょうか?  また、(山)よりも先に作られた(京)と、(山)より後に作られた(逸)で「開基にして」となっているというのはどうしてなのでしょうか? これらの点について次のファイルを基に、(版).(了).(海).(京).(山).(逸).を対照して考えて行きたいと思います。

2020.2.9. v01.2020.01.18.
(無断転載はお断りします。)

2020年1月14日

Part.2

2020年1月4日土曜日

奥の細道 元禄Tは明和版以降の版であることについて

(元禄T)
奥の細道 : 素竜本 野村宗朔 編 大倉広文堂 昭和7
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175286
先に、「底本と主な参考文献」 で、元禄Tについて次のように書きました。
追記、底本の元禄Tについてですが、 雲英末雄の分類による明和版Aよりも後に刷られた可能性が出てきました。とすると、元禄Tは素龍・去来・蝶夢の跋のない明和版であるとも言えるかもしれません。
この点について見てみたいと思います。
一番顕著な例が次の箇所です。

おくのほそ道 10a.05「き事」
奥の細道 10a05「き事」
「事」の字について、(元禄A・K・C)(明和G・R)には欠損がありませんが、明和I以降に欠損があります。そして、元禄Tも同じ欠損があります。
明和Iは、雲英末雄の分類によると明和版Aに属するので、明和版Aを刷っている途中で
版木が欠損したと考えられます。

画像引用 元禄A 元禄K 元禄C 明和G 明和R 明和I 明和H 明和HO 明和W 元禄T

おくのほそ道 04a.03「習し」

「し」の字について、(元禄A・K・C)(明和G・R・I)には欠損がありませんが、明和版B以降に欠損があります。そして、元禄Tも同じ欠損があります。
「し」の字に関しては明和Iよりも後で版木が欠損したと考えられます。

画像引用 元禄A 元禄K 元禄C 明和G 明和R 明和I 明和H 明和HO 明和W 元禄T

おくのほそ道 41a.07「侍類(る)」

元禄Tの欠損は、明和Wとほぼ同じであると言えると思います。

注:明和Nは、明和版Bよりも「類(る)」の欠損が少ないのですが、分類途中により便宜上この位置に配置しました。

画像引用 元禄A 元禄K 元禄C 明和G 明和R 明和I 明和H 明和HO 明和N 明和W 元禄T

明和版は、本文から無署名の跋までは元禄版の版木を使用しており、付録として素龍・去来・蝶夢の跋文を加えたものです。つまり元禄Tは、この付録を刷らずに以前の元禄版と同じ体裁にしたものと言えると思います。

なぜこのような本が出たかを想像すると、明和版が世に出回ると、元禄版を求める好事家が出現し、その欲求を満たすために「元禄版」を新たに出版したのかもしれません。その際、明和版以後に刷られたということを明示したかどうか? 興味の注がれるところではあります。

国会図書館デジタルコレクション 02元禄T(底本)/  07蕪村巻T
国文学研究資料館 02元禄K/ 04c寛政K/ 06芭門七書K/ 06永機K/ 奥の細道
駒沢大学図書館 02元禄KM
相愛大学 春曙文庫 02元禄SI
北海道大学図書館 03b明和H
法政大学図書館 03b明和HO 
宮内庁書陵部 05a別版S(有丁)
酒田市立光丘文庫 04c寛政M/ 07元禄写M
新潟大学附属図書館 佐野文庫 04c寛政NS
岐阜大学図書館 04b寛政GF
愛知教育大学附属図書館 07元禄写IK/ 04f寛政IK
金城学院大学図書館 04c寛政KS
大阪大学附属図書館 忍頂寺文庫 04d寛政O
奈良大学図書館 04c2寛政N1/ 04b寛政N2
八戸市立図書館 07元禄模写HA/09註.鈔HA
函館市中央図書館 06香雪.交山HK
愛知県立大学図書館  03a明和I/ 04a寛政I/ 09註.菅菰I 
立命館大学図書館 02元禄R/ 03a明和R/ 04c寛政R/ おくのほそみち 
Google ブックス 慶應義塾大学 02元禄G1 02元禄G2/ 03a明和G/ 05b別版G(桜寿軒)
早稲田大学図書館  02元禄A 02元禄B 02元禄C/ 03e明和W / 04c寛政W1 04c寛政W2/ 05a別版W1(有丁) 05a別版W2(有丁)/ 05b別版W(桜寿軒)/
06半化坊W/ 06百家交筆W/ 06香雪.交山W/06永機W/ 06蕉門七書W/ 07芭蕉翁文集(写)W / 
07元禄写W1 07元禄写W2 07元禄写W3 07元禄写W4 /
01E1惟足W(吉川惟足) / 09註.洗心抄W/ 奥の細道
西尾市岩瀬文庫 09註.通解NO
弘前市立図書館 07蕉門七書模(写)HR
福井県文書館 07寛政ab写FI
富山県立図書館 06半化坊TY 
名古屋大学図書館 03f明和N

著作物の引用について
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2019.2.1
2019.5.13
2020.1.4更新
水音凛香・速水敬五


与謝蕪村 奥の細道 上巻
与謝蕪村 奥の細道 下巻
12-13. 14. 15. 16-17. 18.


表紙 000 
1.序章 001 002 003.03
2.旅立 003.03 004 
3.草加 005 006.05
4.室の八島 006.06 007.05
5.仏五左衛門 007.06 008 009.01
6.日光 009.02 010 011 012.03
7.那須 012.04 013 014.06
8.黒羽 014.07 015 016.07
9.雲巌寺 016.08 017 018 19.07
10.殺生石・遊行柳 19.08 020 021.02
11.白河の関 021.03 022.06
12.須賀川 022.07 023 024 025.05
13.あさか山 025.06 026.06
14.しのぶの里 026.06 027.07
15.佐藤庄司が旧跡 027.08 028 029.07
16.飯塚 029.07 030 031.08
17.笠島 031.08 032 033.03
18.武隈 033.04 034 035.01
19.宮城野 035.02 036 037.04
20.壺の碑 037.05 038 039 040.03
21.末の松山 040.04 041 042.04
22.塩竈 042.04 043 044.04
23.松島 044.05 045 046 047 048 049.05
24.石巻 049.06 050 051.07
25.平泉 051.08 052
053 054 055.01
26.尿前の関 055.02 056 057 058 059.01
27.尾花沢 059.02 060.03
28.立石寺 060.04 061
29.最上川 062